エンタープライズアジャイルにおけるマネージャーのあり方を考える - 「わかってないマネージャー・あるある」と対処法(3)

3年近く前
浅木 麗子
執行役員
浅木 麗子

大企業でスクラムの導入に取り組む多くのチームが「マネージャーと話が噛み合わない、分かり合えない」という困りごとを抱えています。
こうしたチームとマネージャーのコミュニケーションギャップがなぜ生じるかを解説し、対処法を提案する3回シリーズの最終回となる本エントリーです。

今回は、次のようなマネージャーの「あるある」発言を取り上げます。

「みんながワイワイ楽しそうにやってるのは大変結構だけど、仲良くなって成果につながるの?」

では、早速「あるある」発言の背景を探っていきます。

それぞれの視点

  • チームの視点
    • どうせ仕事をするなら、眉間にシワを寄せて働くより、楽しみながらやった方がハッピーだし成果も出るよね!
  • マネージャーの視点
    • 「楽しさ、やりがい」と「成果を出すこと」とでは、もちろん後者が優先。楽しくやることを目的化するのは本末転倒だ

スクラムをはじめとするアジャイル開発を実践しているエンジニアと話をすると、多くの人が「仕事を楽しむ」ことを大切にしていると感じます。
チームメンバーが共通の目的を目指し、成果を出す喜びを実感した実体験を経て、「成果」と「楽しさ」が分かちがたく結びつく感覚は、成熟したアジャイルチームの特徴と言えるでしょう。

一方でマネージャーの目には、「楽しそうにワイワイやっているチーム」は、仕事の成果よりも楽しさを優先していると映ります。

なぜ、このようなすれ違いが起きるのでしょうか?
私は、このすれ違いの根底に「楽しさ」と「成果」は二律背反なのか?という問いがあると考えます。

エンジニアの生産性に影響する5つの側面

「楽しさ」と「成果」は二律背反なのか?
この問いに対する私の答えは、否、すなわち「楽しさと成果は両立し得る」です(無論、いくつかの前提が必要となりますが)。

このように考える根拠の一つとして、ソフトウェア開発者の生産性に関する SPACEフレームワークという考え方を紹介したいと思います。

ソフトウェア開発者の生産性を理解するための「SPACEフレームワーク」

SPACEフレームワークは、 Nicole Forsgren(GitHub 上級副社長)、Margaret-Anne Storey,(ビクトリア大学教授)、Chandra Maddila, Thomas Zimmermann, Brian Houck, Jenna Butler,(いずれもMicrosoft Research)の各氏によって考案されました。

The SPACE of Developer Productivity - ACM Queue

下記の5つの側面から、ソフトウェア開発者やソフトウェア開発チームの生産性を評価するのが、SPACEフレームワークです(日本語訳は(株)GxP・岡澤裕二氏)。

  • S:satisfaction and well-being(満足度・幸福度)
  • P:performance(成果)
  • A:activity(アクティビティ)
  • C:communication and collaboration(コミュニケーションとコラボレーション)
  • E:efficiency and flow(効率性とフロー)

詳しくは、先ほど紹介した論文をご参照いただきたいのですが、本エントリーに関連の深い部分を簡単に要約すると、次にようになります。

  • 複数側面の組み合わせ
    • A(アクティビティ)側面のみ、たとえばコミットしたコード量やコードレビュー数などを計測して生産性を評価する試みが根強いが、それは誤りである。
    • 複数の側面をバランスよく評価する必要がある。
  • 個人の成果とチームの成果
    • 個人、チーム、システム(たとえば開発プロセスなど)の3つのレベルで生産性を捉える必要がある。
    • 個人の成果の単純な総和がチームの成果とは限らない。
  • 適切なトレードオフ
    • 複数の側面、異なるレベルに属する指標どうしには、緊張関係が生じる。
    • 指標間の緊張関係を理解した上で、適切なトレードオフを見出す必要がある。

指標間の「緊張関係」を理解する

以上がSPACEフレームワークの概要です。そしてここからは、SPACEフレームワークに対する私なりの解釈を述べていきます。

SPACEフレームワークそのものは、5つの側面を開発プロセスの異なる断面と捉え、多面的に開発プロセスを評価する必要があると説いています。

一方で、私の立場は、チームや組織が、アジャイルプロセスを活用してより良いビジネス成果を生み出すことを支援・促進するというものです。
したがって、5つの側面の中でも特にP(成果)を重視しています。言い換えると、P(成果)を最大化する指標間の緊張関係が肝であると考えています。

ここをもう少しわかりやすく説明するために、図を使って整理してみましょう。

5つの側面の基本構造.png

この図は、5つの側面の基本的な構造です。
実際には、具体的な指標設計の段階で個人に着目するのか、チームやプロセス全体を見るのかによって、5つの側面の関係は変わってきます。

5つの側面の関係_個人.png

5つの側面の関係_チーム.png

この話の詳細は本エントリーの主題から外れるので、また稿を改めて紹介できればと思いますが、今回のテーマに関連して抑えておきたいポイントは、以下の点です。

  • A(アクティビティ)とC(コミュニケーションとコラボレーション)の関係
    • 個人レベルでは、AとCは単純なトレードオフ(スクラムイベントやモブワークなど協同作業の時間を増やせば、個人作業の時間は削られる。逆もしかり)
    • チームやプロセスのレベルでは、Cの向上がAの向上につながるという因果関係が生じる(Cの持つ「協同作業のやりやすさ」という要素が強くなるため)
  • C(コミュニケーションとコラボレーション)とS(満足度・幸福度)の関係
    • 個人レベルでは、Cの向上がSの向上に寄与する(適度な協同作業時間が確保されれば、ストレスが減り満足度は高くなる)
    • チームレベルでは、一方通行ではなくCとSが相互に作用し合う

このように、チームの生産性の捉え方は多様性に富んでおり、「正解」に近いモデルはチームと状況によって違ってくるということです。

「楽しさ」と「成果」について、マネージャーと分かり合うには?

今回のテーマに話を戻すと、5つの側面のうちC(コミュニケーションとコラボレーション)やS(満足度・幸福度)は「楽しさ」に関連し、P(成果)や場合によってA(アクティビティ)が「成果」と結びついています。

SPACEフレームワークの説明で見てきた通り、これらの側面は緊張関係にはありますが、完全な相互排他(ゼロサム)の関係ではありません
むしろ、両者の緊張関係をコントロールし、チームや組織ごとの均衡点を見出すことが、今日のアジャイルチームに課せられたチャレンジであると言って良いでしょう。

伝統的なマネジメント理論をベースとしたトレーニングを受けてきた大企業のマネージャーにとっては、こうした理論は、やや馴染みの薄いものかもしれません。

そんなマネージャーを説得する際には、SPACEフレームワークのような「外部の権威」を利用すると、うまくいく場合があります。
部下の個人的な意見や主観ではなく、研究に基づき論文としてまとめられた知見となると、受け取る側の心象もずいぶんと変わってきます。

無論、安易な受け売りは危険ですから、出典の論文を読み、自分なりの理解を得た上で説得材料としてうまく使うようにしてください。
知的労働に携わる人やチームの生産性評価は、学術的な研究などによる評価が定まっていない分野ですが、このSPACEフレームワークは、ソフトウェア開発チームを想定したモデルとなっており、多くのアジャイルチームにとって参考になるものと思います。

まとめ

さて、ここまで3回にわたって「わかってないマネージャーあるある」を取り上げて、解説してきましたが、いかがだったでしょうか?
スクラムを組織に広めようと奮闘しているチームや、スクラムチームとの向き合い方に悩みを抱えるマネージャーにとって、少しでも助けとなることができたのであれば、これ以上の喜びはありません。

私たちGraatは、伝統的な企業組織の中でアジャイルプロセスの真価を引き出すためのお手伝いを使命と考え、日々活動しています。
今回ご紹介した、SPACEフレームワークについても、これを応用したチームの指標設計ワークショップを提供していますので、興味を持っていただけましたら、気軽にご相談ください。

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